〜なぜ般若心経なの?〜
【なぜ般若心経にしたの?】
ほぼ全員に聞かれます。
感じるから、取り憑かれてるから、使命感だと勝手に思うから…。
そうです、残念ながら私は言葉で説明ができませんでした。
般若心経画を一枚描きあげるまで、凄まじい体力と能力と忍耐力を使います。
写経を間違えれば即終了。気に入らない箇所があれば描き直し。
「なんでこんな大変な絵を描き始めたのさ…」と毎回思います。
改めて、なぜ般若心経にしたのか説明します。
その1
般若心経画は文字から描き始めますが、写経の時点で違うことを考えていると書き損じ、初めからやり直しです。しかし始めて描いた時から感じていたことですが、描き終わった時の気持ちの達成感や爽快感。焦ったり怒りがあったとしても落ち着いていいるし、身体の状態が良くなるのです。いわゆる“写経”と同じ効果だと思います。
絵を描く感覚とはちょっと違う、このなんとも言えない穏やかな感覚が、般若心経画を描く理由の一つです。
その2
別のお経で絵を描いたことがありましたが、ものすごい嫉妬感を受けたのです。
描き終えた後、般若心経に大変申し訳ない気分になりました。
嫉妬感は感じたことなので説明できませんが、人間関係でもあるような感覚でした。
その3
般若心経を調べていく中で“究極の共通点”があったのす。
お釈迦様は『みんながもっと仲良く楽しく暮らせたらいいのになぁ』と考えて悟りを開きました。
池上ナミは『simplecoが広がって→知る人が増えたら→心が豊かになる人が増えるかな→人を傷つける人は減るかな→傷つく人が減ったら→もっと笑顔が増えるだろうな』と考えて活動をしています。
“究極の共通点”というのは大袈裟かもしれませんが、ありのままは人それぞれ違うのだから、許し、支えあえば幸せになれるという感覚が、私の絵の描き方“simpleco”と同じだったのです。
simplecoとは私の絵の書き方の名前です。別の機会に詳しくご説明します
諸説ありますが、般若心経を唱えたり、書いたり、見ることは、さまざまな良い効果があるといわれています。
その昔、文字が読めなかった庶民のために般若心経の文言を絵で表現した『絵般若心経』というもので般若心経を広め、皆の心の安泰を願った人がいます。
見てくださる方が、般若心経の意味を知らなくても絵として見ていだだければいいと思います。そのために、これからもっと修行を重ねていきます。
現代版絵般若心経という位置付けで存在できたら本望です。